From Yangon

2023年8月13日(日)

5か月くらいサボってしまいました。見る人いなくなっていると思いますが、ここ数か月の出来事の記録として。

ー・・・-

ほぼミャンマーにいた数か月でしたが、いくつかのイベントがありました。

4月は赴任後初めて海へ行きました。また、4月末にはシンガポールへの出張がありました。シンガポールは物価高く、マーライオンは見てきましたが、また行きたい国ではありませんでした。シンガポールに行ったスタッフたちやドライバとも会い、飲みながら話を聞きましたが、けして暮らしが良くなったとも言えなさそうでした。

6月には雨季に入り、どんよりした日々になっています。日本は今とても暑かったり、台風連続で来たりのようですが、こちらの方がまだ過ごしやすいかもしれません。

3月にミャンマー語検定(下から2番目の)M1というレベルを受験、結果不合格でした。6月に再度受験、なんとか合格し、7月からM2の勉強を始めました。50歳の脳みそ、記憶力の低下は否めませんが、赴任中どこまでいけるか挑戦しています。

ー・・・-

6月中旬から7月上旬にかけて一時帰国しました。前回が2月に帰緬だったので4か月ぶり、かなり短いサイクルでした。車検、健康診断などの用事の他、ようやく新型コロナの規制緩和で色々な方とも会うことができ、また4年ぶり(赴任前以来)に山口へも帰省しました。VUリグを持参しましたが、QSOは叶いませんでした。

次は年末~年始あたりにしようか、と思っています。

ー・・・-

国内情勢は相変わらずというべきか。7月末には非常事態宣言が再度半年延長。先は見えませんし、アマチュア無線をすることなど、残念ながら全く期待できません。しかし、9月末で赴任後4年、ミャンマー好きの一人になってきているのは間違いありません。

今日はアウンサン将軍の博物館へ行きました。住処から10分ほどで行けるところですが、これまで行くのをためらっていました。特に治安上問題はありませんが、誰も観光客はいませんでした。色々と思うところある場所です。

2023年3月19日(日)

また3か月以上ダンマリしてました。気が付けば、あの日から2年、経済状況が以前の状態に戻るわけではなく、いつまで続くのか、そんな中生活を続けています。

3か月の間に、当地は乾季から暑季に確実に移り、12月~1月にかけて、朝など半袖では肌寒い時もありましたが、3月に入ってからは朝から蒸す感じ、昼間はとても暑いです。また、前数年基本なかった雨も今年は降ったりしており、地球温暖化の影響なのか、などと思いながら過ごしています。

ー・・・-

元旦は初詣+初日の出を見るべく、シュエダゴン・パゴダに行きました。久しぶりに朝一番で行き、初日の出も拝むことができました。

ー・・・-

1月25日~2月7日まで一時帰国しました(昨年6月以来)。今回はXYLとの銀婚式(+XYL誕生日、同日)に合わせる形で帰りました。久しぶりの家族旅行、沖縄へ行きました(私が寒いところ嫌だから暖かいところに行きたい、と希望して)。私自身も27年ぶりくらいの沖縄、(沖縄も一番寒い時期だったとは言え、東京に比べて)暖かく、海もきれい、食事もおいしく、楽しい時間を過ごせました。

家族以外の飲み会は、いずれも会社、元上司、あとはオンラインでこれまで仕事一緒にしてたけどオフライン会したことなかった方、2回でした。

一番寒い時期だったようで、冬の日本も3年ぶり、体にはとても堪えました。

ハム活動、QSOはわずか15局、沖縄旅行先にDJ-G7を持参し、一度だけCQ出してみたものの、沖縄でV/Uやる人はいないのか...、QSO叶わずでした。(一人で行くなら、HFできるように準備するのかもしれません)

ハム活動としては、今年9月に切れる局免の更新も5年ぶりにしました(ミャンマー戻り後、郵送で無事局免到着)。

また、今回の一時帰国中はミャンマーより会社のスタッフが日本へ出張(3年半の駐在生活で初めてスタッフが日本に来る)、羽田まで迎えに行きました。

ー・・・-

仕事はおかげ様でやること尽きず、あっと言う間に3月末には赴任後3年半です。いつまで続くのやら、いつ帰国命令出てもいいと思いつつも、ミャンマーに愛着が湧いてきてるのもこれまた事実です。

先週日曜日(3/12)、1年半ぶりにミャンマー語検定試験を受験しました(ここ数か月その勉強に集中?してたのも更新サボりの言い訳)。結果はずたずたで、次回(6月)も再受験するべく勉強継続です。

ー・・・ー

諸先輩方から見れば「まだまだ若い」と言われること間違いなしですが、3/23で50歳。会社も年度末です。この1年何してきた?というレビューの時期。また、今後のことも(真剣にではないにせよ)何となく考えたりしています。(私自身のミャンマーでの)残された時間で何ができるのか、というのも日々考え、出来ることはしようと思っております。

ー・・・-

写真は一番左が1月1日朝一番・初詣したシュエダゴン・パゴダ、1月4日夜の花火、2月25日の朝・住処の屋上からの写真です。「写真だけ」見ると、引き続き変わりありません。美しいヤンゴンです。

2022年12月31日(土)

気がつけば年の瀬、紅白をライブで見ながら書いています。前回から3か月だんまりでした。

その代わり、10月からインスタグラムの方は旅行の記録などをアップするようにしました。Facebookは引き続きだんまりです。

 

お陰様で元気に過ごしています。

ー・・・ー

この3か月、数回連休があり、行先の治安に問題がないことを確認しつつ、

・10月:マンダレーとその周辺

・11月:シャン州

へそれぞれ2泊3日で行ってきました(昔フランスで一緒に仕事した方で今ミャンマーに居る方と)。いくつかの場所はいつか行きたいと思っていた所でしたので、よい時間をしばし過ごせました。

 

ヤンゴンも人々は普通に暮らしているように見えます。ショッピングセンターなども人がコロナ前のように戻ってきていると感じます。

ただ、経済や日々の生活で不自由を感じるケースは引き続きあり、来年のどこかで変わるのかどうか。

多くのスタッフが退職し、シンガポールやタイに行くということもあった1年でした。

来年、今年よりよい年になることを祈るばかりです。

ー・・・-

6月に一時帰国してから半年、1月下旬~2月上旬にかけて一時帰国します。家族に会うこと、あとは無線がらみ(免許更新対応など)も今回はしないといけません。

 

写真はマンダレー、シャン旅行、クリスマスのヤンゴン・ショッピングセンターです。もっと旅行ができるようになればいいなと思います。

 

良いお年をお迎えください。

2022年9月25日(日)

幾人かの方から「見たよ」の連絡をもらい、安堵しつつ、本日も書きます。

 

今日は自宅のある東京都小平市のクラブから最新のクラブ会報をいただきました。

先日は小平の前に住んでいた国分寺のクラブより、記念局関係の話が来ました。

そんなこんなでアマチュア無線を忘れないでおります。

ー・・・ー

前回書かなかったこととして、

①8月12日(金)に激しい食中毒(前日の何かが原因)で猛烈な腹痛、脂汗、下○に数日苦しみました。

②9月8日(木)夜より熱が出て、翌日近くのクリニックでコロナ陽性と診断、9月18日まで自宅隔離となりました。

お陰様で共に回復、今は普通にしています。②では1.5kgほど痩せることができました。。。

XYL、山口の実家ともに大丈夫か、と言われ、とりわけ山口の実家からは「健康には気をつけんといかんよ」と教えを説いて(説教して)もらい。。。①は当地では気をつけても防げず、②は当地も今はやっているかつ(私も含めて)気の緩みが原因と分析しています。一方で、②は今回の罹患により当分は無敵の体になったような気分にもなっています。

説教と書いたものの、やはり皆健康第一だと改めて思いました。心配をかけてしまいました。

ー・・・ー

9月29日(木)で赴任満3年となります。当初やろうと思っていたこと(仕事もプライベートも)、できてないことばかりです。もう3年、まだ3年、両方の思いがあります。

本帰国しろ、と言われればもちろん帰りますが、もう少しやれること、やるべきことをやってからでもいいとも思っています。

ー・・・ー

この3年で変わった身近なことの一つ、当地もご多分に漏れず、インフレがあります。あと、物が減ってる?という現象です。家計簿をつけてますが、同じものでの比較ができるのがたばこしかありません。

・たばこ(止めろと皆から言われますが):2019年10月⇒1,790MMK(ミャンマーチャット)、2022年10月⇒3,200MMK

その他、野菜などの当地で取れる生鮮食料品以外は軒並み上がっていると実感します。

日本食材を扱っているお店で先日「マルちゃん緑のたぬき」を一つだけ(非常食)で買いました。11,000MMK(最新のミャンマー中央銀行レートで748円!)でした。日本食材は当地では買わない方がいいかもしれません。

 

たばこは、(うちの近くの)スーパーでは今(おひとり2箱まででよろしく)と貼られています。

ビールは(政変後に出まわらなくなった当地産ビールから)タイのChangをよく飲んでいましたが、(うちの近くの)スーパーからついに数日前なくなりました。

昨日、シェービングクリームがほぼなくなったので(うちの近くの)スーパーへ行きましたが売られてませんでした。

いずれもどこか市内探せばあるはずなのですが、少しずつ嗜好品を中心に物が国外から入りにくくなってる、と実感します。

ー・・・-

本日のクラブ会報で、当局の局免が来年9月20日で切れるので、更新しましょうとメッセージ書かれていました。次回の一時帰国のタイミング(期限切れ前には帰れるはず)で更新します。

ー・・・-

左の写真は9月9日、近くのクリニックでコロナ陽性診断直後にバイキンマン扱いされている時(親切に対応いただきました。しかし診察は外でした。。。)、右は昨日の市内のJunction Squareという場所にて。

2022年9月11日(日)

今朝はNHKの「小さな旅」で私の第xのふるさとである山口県周防大島が出ていました。地元の言葉や風景から、もう3年以上山口に帰ってないなと思いながら見ていました。

ここ数週間はテレビ朝日の「Nice Flight!」にどっぷりハマっていました。

ー・・・ー

前回から3か月以上過ぎ、もう誰も見に来なくなってるのなかと思いつつ、記録がてら書き込みます(もし読まれたら、FBなりメッセンジャーなりメールで「見たよ」と言ってもらえればうれしいです)。

ー・・・-

6月4日~22日まで9カ月ぶりに一時帰国、ちょうど日本のコロナも一旦落ち着いてたタイミング、家族で12年ぶりに神戸(XYL実家)にも行くことができましたし、ハムもAll Asian DX(CW)にも参戦でき(夜中まで欧州聞こえてたり)、よい時間を過ごせました。

ー・・・-

当地状況は相変わらずです。仕事は皆で試行錯誤の日々です。国外との行き来の自由度は改善、そのためか多くのミャンマー人が国外に出て行ってしまったり。先週はシンガポールから出張者(実に2年半ぶり)が来て、シュエダゴンパゴダにも数か月ぶりに行ってきました(9月4日、写真)。これらの写真だけですと平穏なミャンマーに見えます。

2022年5月22日(日)

ミャンマーのニュースがすっかり減ってしまったのと同じように、このページ更新頻度も減ってしまっております。

当地は4月末あたりから雨がよく降るようになってきて、(誰も宣言しませんが)もう雨季に入ったのかな、と昨今思いながら生活しています。雨がなくても、ひたすら蒸し暑い日々です。

ー・・・-

先月末には1月以来のシュエダゴンパゴダ参拝(朝一番で)をしたり、市内どこかで食事をすることで気分転換をしています。

マンゴーもおいしい季節で、スタッフから木綿シャツと合わせてマンゴーをもらい、先週・今週と食しています。日本で買うと1つ1,000円はするだろうな、とスタッフにいうと驚いていました。こちらではお店によりですが、数十円くらいからで買えます。

以前から欲しかったコーヒーのドリップポットなるものを住処近くにあるコーヒー専門店で見つけ(いつも車での移動なので、気づかなかった)、先ほど買い求め、早速試してみました。コーヒー通ではありませんが、味はこれまでとは全く違い、とてもおいしくいただけるようになりました。

ー・・・-

昨年9月11日に再渡航してから9カ月、来月3日~23日で一時帰国することとしました(日本入国は6月4日、出国は6月22日)。前回はコロナ影響、1年半インターバルあったこともあり2か月でしたが、今回はほぼ会社ルールどおりのスケジュール。ミャンマーも4月から国が開き、観光ビザも降りるようになってきたとか。私も頻繁に一時帰国したいですし、家族にも(もし叶うなら)来てもらいたいものです。

 

写真は左から、シュエダゴンパゴダの朝(2枚)、4月末の雨の日(住処近くで)、スタッフからの頂きもの、先ほど買い求めてきたドリップポットです。

2022年4月17日(日)

4月9日(土)~本日までミャンマーはティンジャン(Thingyan)と呼ばれるミャンマー正月休暇でした(本日がミャンマー元日)。昨年夏の一時帰国を除き、休みらしいことをこの2年することなく過ごしてきましたが、治安面は落ち着いており、満を持してヤンゴンの外へ旅行に行きました。

当地では2年ぶりでしょうか、久しぶりに仕事のことを(意識して)ほとんど考えずの1週間を過ごせました。

ー・・・-

知人からお誘いを受け、2年前(2020年2月)に日帰り旅行した、世界遺産登録されているバガン(Bagan)へ旅行してきました(4月10日~4月13日)。現地はまだ観光旅行者がほぼいない状況で、「ようやく旅行者来たか」というような感じで受け止められていたようでした。今回は前回行けなかった寺院や車で1時間ほど離れた観光地(ポッパ山)まで足を伸ばすことができました。知人含めて3人での旅でしたが、旅行中色々お話しができたことも有意義でした。

ー・・・-

昨日(4月16日)は夕方、JH1ZSLの技術講習会があり、冒頭だけでですが参加し、クラブメンバーの方々と久しぶりにお話しできました。現在のCONDXについての話もあり、ハムしたいな、という気持ちになりました。

ー・・・-

本日はミャンマー元日、近くのシュエダゴンバゴダは赴任後の2年がコロナや政変でクローズされていたことなどから、今回初めて(パゴダ回りを車で)見て回りましたが、多くの人が参拝に訪れていました。

ー・・・ー

4月3日に当地では外貨の強制兌換というお触れが出され、生活・業務上の影響が相当大きく、我々含め多くが頭を抱えています。

ー・・・-

写真はバガン旅行の時のもの、右から3枚は本日のシュエダゴンパゴダ界隈です。

2022年3月20日(日)

2月1日のあと、しばらく書いてませんでした。あれから1年、その後はR(UA)のUR侵攻にすっかり当地のことはかき消されてしまった感ありますが、何も変わってない、が実状です。

From Yangonを書き始めてからも1年経ちました。昨年同様、2月下旬から暑季に移り、昼間はとても暑く、エアコンないとつらくなってきている一方、3回目の暑季ですが停電がこれまでで一番ひどく、オフィスのあたりは日に10数時間商用電源停電、ジェネレータを回すもディーゼル燃料の高騰で自社も世間も困っている状況です。

ー・・・-

この1か月半何があり、何してきたのだろう、と思い返すに以下のような感じです。

①オミクロンが当地も急拡大し、2月中旬~下旬は新規感染者が増大するも、ほとんどの方が軽症で気がついたら収束してきた。しかし期間中も市内の人はあまり減らなかった印象。

②私はコロナ感染せずに来た一方、抗体検査(半年前のものはほぼ有効期限切れの値...)とブースター(Covishield)を当地で接種。その後もう一度抗体検査するも思ったほど抗体値上昇せず。

③会社の喫煙スペースに鳩が卵を産み、巣立ちまで観察した。

④食事くらいしか楽しみなく、最近再開したり、当分行けてなかったお店にフラッと行く。

ー・・・-

当地は2020年3月末から2年間国際商業便を(コロナ封じ込めのため)停止していましたが、先日報道で4月17日より再開するとのこと。商業便停止中は、リリーフフライト(ミャンマー人を帰国させる目的の臨時便)しか飛ばず、私もその空いた席で昨年一時帰国しました。商業便再開で、定期的なフライトが戻れば、日本との行き来がしやすくなりますが、乗客数(需要)もあるでしょうから、頻繁には飛ばないのかも。いずれにせよ、座席が取りやすくなればいいなと思っています。

 

写真は左が鳩の子育て、某所からのシュエダゴンパゴダ(夕暮れ)、某所から見たインヤー湖の日暮れ(昨日)、今朝のインヤー湖畔です。

2022年2月1日(火)

あれから1年、本日は在宅勤務。1年前の今日から続く日々をしばし思い出しながら、静かに過ごしています。

写真は今朝と先ほど自宅から通りを撮ったものです。

2022年1月16日(日)

1月も半分過ぎてしました。明けましておめでとうございます。元気にしておりますが、1か月ずる休みしました。

乾季だというのに、ここ1週間で2回ほど午前中小雨がありました。日本も寒い日々が続いているようですが、当地も何か変な感じです。

ー・・・ー

年末年始をヤンゴンで過ごし、街や人の営みを日々肌で感じています。

新型コロナ以降、ヤンゴンから外に出ることは自粛していましたが、年末に会社スタッフの結婚式に招待され、ヤンゴンから3時間ほど離れた土地に行く機会がありました。事前に状況を調べたうえ、行くこととしました。

新型コロナ前に一度だけバガンというところへ日帰りして以降、ミャンマーの田舎のことを知る機会がありませんでしたが、今回は車での移動、途中止まって写真を撮ったり、行った先でボートに乗って会場まで移動したり、現地の方のお宅を見たり、田舎の結婚式を体験したりで、よい一日を過ごせました。

ー・・・-

年始は餅を買い、ネットのレシピサイトを見ながら、自分で(生まれて初めて)お雑煮を作りました。お節は注文もでき、自宅で一杯、また日本食レストランでもいただきました。

ー・・・-

ハムは何かしてるか?電波はもちろん出せませんが、できることをしています。

 

写真は左から5枚が年末会社スタッフの結婚式に行ったとき、その次がヤンゴンの初日の出、最後の2枚が1月9日ミャンマー語⇒日本語辞書を買いに行った際に撮った街の風景(本屋近く、街の市場界隈)です。

2021年12月12日(日)

さぼりました。日本はすっかり寒くなっているようで。こちらも朝は20℃くらいで涼しくなりました。昼は33℃くらいで暑いです。

私は元気にしております。

今日は以下これまで書いてきたものをかなり整理、シンプルにしました。

2021年11月21日(日)

2週ほどずる休みで書きませんでした。元気にしています。雨は11月4日までと11月18日午後を除き降らなくなりました。日本はすっかり寒くなってきてるようですが、こちらは半そで、短パン、過ごしやすい季節になってきました。

 

帰緬して2か月が経過、やはり時間が経つのは早いです。

 

街はコロナも落ち着き、賑わいが戻り、渋滞も程よく?している、というのが実状で、買い物やおいしいものを食べたり、少しだけいい眺めのところに行ったり、先月赴任された方(私のフランス駐在時代の前任)などとお会いしたり、と移動できる・可能な限りのところで気分転換をしつつ過ごしています。

 

先週末には、それまで日本人の美容師に方に散髪してもらってましたがその方が帰国されたので、初めてローカルの床屋で散髪してもらいました(バリカンで大胆に切られ、10分ほどで終了、横が左右で揃ってないとかありますがさっぱりはしました)。

 

写真は左から、少しいい眺めを見に行く(ヤンゴン市内から西方面、夕方)、ヤンゴン市内のショッピングセンター(日本フェア?、ワサビのチューブがようやく手に入る)、今朝日本人墓地(日本人会主催の秋季墓参、日本大使始め70人くらい来ていた)

2021年10月31日(日)

暗中模索、という言葉を連想します。

10月も終わり、全く雨降らなくなったかと思っていましたが、昨日は朝から大雨でした(昼まで)。今朝は3週間ぶりに朝散歩してきました。

10月29日に太陽フレア、昨日午後から今日にかけて通信状況悪くなるような話がありましたが、逆に良くなったような話も聞こえて来たり。。。、どうだったのでしょうか。

日本では今日衆議院選挙ですね。私在外選挙の申請(小平市役所で)してこなかったので、残念ながらできません。

ー・・・-

Thadingyut休暇が終わり、平日の大半は出社しましたが、会社スタッフ一同をはじめ幾人からか頂き物がありました。

(Thadingyutとは何?という方は、”ミャンマー タディンジュ”で検索すると出てくると思います)

 

ドライバーからは私が赴任した日のプリントされたTシャツも。(違った見方ですが)当地は現下でもこのようなものがいつでもネット経由で入手できる、という状況です。皆それぞれに頑張っているということですね。

ー・・・-

昨日、以前から一度アイボールしたいと思っていた方と念願叶い、当地でその機会をいただけました。詳しい話はここには書きませんが、面会できただけでも正直感動(大げさかもしれませんが)でした。ありがとうございました。

ー・・・-

写真は頂き物の一覧?、感謝です。(食べ物は正直更に太ってしまうのが気になります)

2021年10月24日(日)

先週はずる休み?で書きませんでした。元気にしております。

この1週間、当地はThadingyut(タディンジュ、満月の20日を挟んだ19日~21日の祝日)でした。新型コロナもヤンゴンは落ち着き、パゴダや街には多くの人が出ていました。

お金は引き続きATMでは全く下ろせず、持参した幾ばくかのドルを少しずつチャットへ両替するか、当地銀行のデビットカード払いのできる店で買い物するか、で日々の生活をしています。

ー・・・ー

Thadingyutを過ぎると雨季から乾季に変わる、と言われているようで、私の日記に記載する天気の記録では、昨日・本日が雨なしです。空も入道雲(雷雲)の発生が減ってきているように感じます。あちこち旅したいところです。日本人のパターンで行くと現実的には、①会社が渡航(渡緬)を許さない人、②渡緬したが旅行は自粛してる人、③自己責任で旅行している人、となるはずで、私は②に該当。

旅はできませんが、ヤンゴンにも少しずつ日本人が戻り始め、会いませんか?飲みませんか?という話が少しずつ入ってきています。日本と同じく、新型コロナが落ち着いている今が行動するタイミングとも言えます。

あるところで聞いた話だと、10月初め時点で日本人は500人ほど、年末にかけて700-800人くらいになると予想されているとのこと。最盛期が3,500人とか5,000人とか聞いていたので、まだまだです。最盛期の数に戻るには複数年単位になることが容易に想像できるところが悲しいところです。

 

写真はつい今しがたベランダから撮った外の眺めです。

2021年10月10日(日)

日本では昨日・今日と全市全郡コンテスト真っ只中でしょうか。先日KCJより8月に開催されたKCJコンテストの結果が来ました。ほぼ受け専門での参加でしたが、楽しめたな、とわずか2か月前のことですが、遠い記憶のように思い出していました。

ー・・・ー

先週末から週明けは雷鳴・ドカ雨がありましたが、その後から天候が少しずつ安定してきており、乾季がすぐそこまで来ていると実感するヤンゴンです。

ー・・・ー

職場と買い物、あとは家という日々の一方で、食事だけは楽しみたいという思いがどうしても出てしまい、昨日は再開した日本食レストランへ昼食で行きました。

今朝は近くに住んでいる知合いの方と初めて一緒に近場を散歩、締め?でミャンマー飯屋でオンノーカウスエを一緒に食して帰る、という朝活をしました。30分ほどの散歩、以前は同じ住処のご夫妻(4月に本帰国)の方と同じルートを辿りましたが、会話しながらの散歩でいい時間を過ごせました。

 

お見せできるような写真がありませんが、左から10/7(木)朝の空(住処屋上で撮影)、10/9(土)再開した日本食レストラン(川蝉)の昼食、そして今朝散歩の帰り道(スーパーマーケットの前に「カープソース」と書かれた車(日本から輸入、従業員フェリー用に改装、スーパーの従業員が通勤してきた直後)。

2021年10月3日(日)

 

9月21日朝、10日間のホテル強制隔離(期間中2回PCR検査あり)後無事にヤンゴンの住処に戻りました。当日朝少しだけホテル周辺を散歩しました。

 

仕事と買い物、最低限の外出状態は続いてますが、7月~8月にかけて蔓延していた新型コロナ、ヤンゴンに限れば落ち着いてきており、ショッピングセンターなどは大勢人をみかけます。市内の移動も以前のような渋滞には出くわしていませんが、車は多く走っています。

 

早いもので、帰緬から3週間、住処に戻ってからも2週間近く経過し、すっかり元の生活に戻った一方で、住処の住人がほとんどいない(私の他2人、他は皆さん7月~8月までに一時帰国(退避)中)状況。今月はANA便が週一で飛ぶので幾人かの方が戻ってくる噂を聞いています。ヤンゴンの日本人の数は現在、最盛期の20分の1くらいではないでしょうか。直近2か月で知ってるだけでも2件の日本食屋が閉店・オーナー変更しており、日本食を楽しめる場所が更に限られてきています。

 

為替(ドル⇔ミャンマーチャットも)今年3月からチャット安が進み、とりわけ直近1か月の進み具合は半端なく、9月25日の両替は1ドル=2,070チャット、今朝は1ドル=2,300チャット。今年1月下旬の記録では1ドル=1,334チャットだったので、58%チャットの価値が下がった、ということでしょうか。じわりじわりと値上がりしてるなと買い物や食事する際に実感します。

出社も幾たびかしており、同じく出社しているスタッフと久々の再開のあいさつ、2か月間(7月~8月)どう過ごしていたのかなどを直接聞いています。うちのスタッフも大勢がコロナ感染(およびその疑い)していましたが、元気な顔を見て、安堵しています。

ー・・・ー

当日あまり意識してなかったのですが、9月29日は赴任3年目に突入した日でした。

 

ふと振り返り、赴任当時想定していたものとはあまりにも違い過ぎる現状を再確認しつつ、現状からどう生き延び続けるか、状況改善した際にどうあるべきかを一所懸命考えて、一つ一つやっていくしかないのかなと改めて思っています(仕事の話)。

 

プライベートは、家の近くを散歩するなり、本読んだり、ビルマ語勉強したりして過ごすかなと。もうすぐ雨季も終わり、いい季節(乾季)になるので、本当であればあちこち旅行したい、が本音です。

 

写真:左から、9月21日朝隔離ホテル外観(チャトリウム)、同日朝散歩した時、同日家近くのスーパー、9月25日ミャンマープラザ(ショッピングセンター、日本雑貨屋あり)、10月1日夕方会社から

2021年9月19日(日)

7月9日夜日本着から丁度2か月、これまでの海外赴任経験で一番長い一時帰国を過ごし、9月11日のANA便でヤンゴンに戻りました。期間中、家のこと、会社のこと、無線含めて色々なことができました。丁度東京オリパラ開催期間中に重なったことは(以前から当該期間日本にはいないな、と思っていたので)、記念局とQSOする観点ではラッキーでした。

 

PCR検査は今回の一時帰国で4回(一時帰国前、ヤンゴン再渡航前、ヤンゴン(現在のホテル隔離中2回))、また成田到着時には抗原検査も受け、滅多にない経験をしました。

 

自宅は1年半不在としたため、部屋掃除や草むしりなどしました。部屋も次回いつ帰れるか分からないので、不要なものの整理、埃対策などしてきました。

 

運転免許は今年3月に失効、東京でのホテル隔離後早々に府中の試験場に出向き、再交付(更新ではない)をしてきましたが、必要書類をきちんと準備することで問題なく手続きできました。

 

車は一時帰国前、廃車するべく在ミャンマー日本大使館に証明書類を取得する等準備していましたが、帰国後車を見て心変わり、7月に車検切れだったため市役所で仮ナンバー取得(自賠責がぎりぎり有効だったので取得できた)、自走のうえ車検を無事通すことができました。車はカバーをかけていたおかげで痛んだところもなく保管できていました。

 

本社出社やワクチン接種、PCR検査、再渡航ビザ取得(ミャンマー大使館@品川)など幾たびか電車で都心に出ることもありましたが、緊急事態宣言下とは思えない人の多さに少々恐怖を覚えました。

そんな状況であったものの、2nd(娘)とは一度車でドライブにも出かけたりもしました(食事とトイレ休憩以外ずっと車を走らせ)。1年半不在の間に娘も20歳になってました。2nd(息子)は就職活動真っ盛り、XYLも1日交代で出勤・在宅をしており、家族それぞれの生活が確立しているのかな、と思いながら過ごしました。

 

ヤンゴンで手に入らないものを今回買い込みました。さすが日本、食材のみならず生活用品、趣味に関するものまで、気の利いたもの・欲しかったものを探す、買うということも楽しめました。おかげで手荷物は超過料金を払うことになってしまいましたが、このあとの生活が快適になるかな、と思っています。

 

無線はFDとKCJに参戦できた、東京オリパラ記念局とQSOできた、地元クラブ局のロールコールに出れた、同じく地元クラブ局とローカルでの移動運用をした、たまったQSLカードの整理と記載(結構な時間を使いました)、島根送付も済ませた、といった感じでした。

 

今年5月、地元クラブのメンバーであり、また私の勤め先の大先輩であったJA1JRI 牛尾OMがSKとなられ、その報をヤンゴンで聞きました。緊急事態で人の接触が躊躇われる状況ではありましたが、どうしてもご挨拶をしたく、8月下旬牛尾さん宅へご連絡、ご仏前でご挨拶させていただきました。これまでもOMには事あるたび(ない時でも)にメールやSNSでお声がけしてもらっていました。無事に帰ってきました、またヤンゴンに行ってきます、とご挨拶をしました。

 

再渡航は9月10日便、出発時刻が9:30のため成田に前泊しました。当日朝早めに空港入り、手荷物預け⇒セキュリティゲートを通過し、出国(スタンプ)直前で職員に「本日便キャンセルになるかもしれないから一度セキュリティゲート手前に戻って待機を」とのこと、出発1時間を切ったところで正式にキャンセル。翌日出発(遅発)するか夕方連絡するとのことで、出発する可能性を信じて午後早々に成田の宿を確保、夕方前に11日運行決定の連絡(那覇経由を関空経由に変更し)、無事に再渡航、というハプニングも一時帰国の最後にありました。理由はエンルート上の台風によるもの、また平時であれば成田ーヤンゴンはダイレクトに飛べますが、ヤンゴンで給油ができないため、日本で給油する対応が2月以降取られています。

ー・・・ー

ヤンゴンはこの2か月の間、他の東南アジアと同じくコロナの感染拡大で、7月~8月上旬にかけて当地から日々入る情報が深刻なものばかりで、(そのような状況になる以前から計画していたとはいえ)一時帰国していることに心苦しさを感じたりもしました。8月下旬からヤンゴンのコロナ感染は落ち着いています。

 

PCR検査(2回目)の結果(つい今しがた連絡)陰性でしたので、9月21日(火)午前に住処へ戻ります。

 

7月下旬(東京でホテル隔離中)、6月に受験したミャンマー語検定(初級)の合格通知が来ました。よかった、よかったと思いつつ、この2か月ほとんど勉強をしていないので単語をほぼ忘れてしまっており、住処に戻ったらまたやり直しです。

ー・・・ー

写真は左から、9月3日ミャンマー大使館(ビザ取得にて)、9月10日(同日フライトキャンセルにて一度預けた手荷物が出てくるのを待つ)、9月11日(手荷物預け時)、そして今(ホテル隔離、部屋から見える風景)です。

2021年7月11日(日)

7月9日(金)のANA便で一時帰国、今はホテル隔離中です。7月7日ヤンゴンでPCR検査を、そして成田到着直後の検疫で抗原検査を受け、いずれも陰性で無事入国できました。

ホテル隔離は7月10日を1日目として14日間(7月23日(金)まで)、7月24日(土)に自由な移動(といっても自宅へ帰ります)が可能になります。

ヤンゴンで飛行機に乗った瞬間、ふと気が抜けるというか、ここは安全だという気持ちになり、それまであまり意識してませんでしたが、無意識に緊張していたのかと思った瞬間でした。

ー・・・ー

今日もヤンゴンのナショナルスタッフ2名から体調不良の連絡あり。また、一時帰国前から聞いてましたが、酸素ボンベが不足している、給酸素ステーション?も人が並ぶといった状況とのこと。ミャンマーは第3波になっていますが、ここ数日で第2波の1日あたりの新規陽性者を超え、まだまだ昇り調子で、このタイミングで一時帰国したこと自体、心境複雑です。

ー・・・ー

一時帰国中はこのページの更新はお休みします。

日本にいる間、現地で見聞き・経験したことをお話しできる方にできればと思っています。

QRVまでもう少し、です。

2021年7月4日(日)

ここ2日ほど比較的天気がよく、朝日が出ると暑くなっています。その他の日は良く雨が降っていました。

この一週間も私の周りでは大きな変化はなく過ごしてこれましたが、新型コロナが私の勤務する職場にも確実に近づいてきてる感じです。

ー・・・ー

そんな中、来週金曜日(9日)の便で一時帰国することとなりました。すぐに家には戻らず、2週間ほどホテル自主隔離、24日(土)にようやく自宅へ帰れます。昨年正月から1年半帰れずじまいだったことを考えれば、2週間はすぐ過ぎることでしょう。新型コロナ前であれば、飛行機チケット買って、会社申請してハイOK、だったのが、PCR検査(当地、成田は抗原検査)受け、日本国内移動のハイヤーやホテルの手配など手続きが面倒ですが、仕方がありません。

自宅に帰ったら、家族と話するのはもちろん、車の免許更新、車の廃車(1年半動かせず、また次もいつ帰って来れるか分からないので)手続き、大量にたまった資料、雑誌、郵便物を片付けて、健康診断にワクチン接種(打てれば)、あとはハム(フィールドデーは出れるかな?)。

いずれにせよ、本帰国ではないので、やること済んで、成田⇒ヤンゴン便の席が確保できたら、戻ってきます。

 

楽しみでもありますが、この1年半で変わったであろうか日本に行くことに少々緊張している状況です。

仕事は1年以上在宅勤務経験しているので、場所がヤンゴンか東京だけの違いかな、と楽観的です(本当は、当地の状況や業務上のことが心配なんですけど)。

2021年6月27日(日)

今日も元気にしております。当地は新型コロナが昨年秋の第2波のように確実に増加していること、お金が引き続きATMで下ろせない、という状況です。お金はストックとDebit Cardが使えるお店で食材等購入する形でなんとか凌いでますが、あとどれくらい下ろせない状況続くのか。。。最後にATMで下ろしたのは5月5日でした。

ー・・・ー

とある方の記事から、The Square(T-Square)の和泉宏隆さんが4月に亡くなられていたことを知りました。今でもよく聞くので、残念です。人はいつどうなるか分からないな、とも改めて思いました。

ー・・・ー

今朝はシュエダゴンパゴダ(北ゲート)まで久しぶりに散歩してきました。片道15分。最後に入ったのは2020年2月2日、新型コロナ前です。

2021年6月20日(日)

4月4日にも同様の話を書きましたが、今朝も未明(4:23)に「ドーン」という音で目覚め、外に出ると雷雨でした。当地の状況が今のようでなければ、自ずと雷鳴だと思うものですが、どうしても違う方に捉えてしまいます。

当地は完全に雨季モードですが、昨日・今日は日が差す時間もあります。

ー・・・ー

当地の新型コロナ、5月末から第三波(当地第一波は昨年5~6月、第二波は昨年9月~今年1月あたり)が来ており、勤務先も6月15日から基本全員在宅勤務に戻しました。医療体制は、今回は見聞きする限り厳しそう。6月15日には変異株が国内でも初めて確認された、と報道されました。

ー・・・ー

今朝ビルマ語の試験(初歩コース)を受けました。直前の数日は刷り込みしたのですが、本番になるとパッと頭から消えるもので、にわか仕込みはやはりダメだな、というのと、リーディングはそれなりに行けそうですが、リスニングがとにかくダメで、勉強スタイルが専ら読み・書きだけだったので、日ごろから会話で使わないと試験時に突然聞いても何言ってるのか???という状況が幾度もありました。モールス学習と同じ、でしょうか。

結果は1か月後らしいです。

ー・・・ー

試験が終わって、ふと考えるに、最後の一時帰国から今月で1年半。長かったような、早かったような。

私には会社続けられるように頑張ること、私的に寄付したりすることしかないのがたまに口惜しくなります。

2021年6月13日(日)

元気にしております。

私は朝一番での散歩(途中でモヒンガーを食す)と、午前中近くのスーパーでエプロンを買い求めました。ほとんどしない料理をする際、シャツ汚したりするのが気になっていたので。ほとんどしないから料理が下手なため汚れる、とも言えそうです。。。

現金がとにかく下ろせず、予備に手を付け始めました。

ー・・・ー

■6月8日(火) 私の滞在ビザを更新。昨年は1年出たのに、今回は3か月。

■6月9日(水) 数カ月ぶりにティラワという工業団地へ用事があって行く。

ー・・・ー

先週書いた集中してやってることは「ビルマ語」で、来週日曜日の朝一番、初歩の試験を受けることとしました。300語程度覚えれば受かるとあるのですが、これがなかなか頭に入らない。文字はここ数か月読めるようになるべく刷り込んできたのですが、単語を1つ覚えると2つ忘れる、といった具合です。真剣度が足りないのか、それとも老化なのか、赴任して1年8カ月、何やってたんだろうと自問自答しながらあがいています。落ちたら笑ってやってください。

ー・・・ー

写真:左は今朝食べたモヒンガーとつまみ(お店は5月23日と同じ、おいしい)、右がエプロン(1つ15,000チャット、ひとつは日本のお土産用(いつの日か持参するため・・・)、もしご興味あれば買い求めていつかお渡しすることも可能です(当地に貢献できるので))

2021年6月6日(日)

また一週間経ちました。会社は出社3日、在宅3日の2交代制勤務を続けており、外の空気を吸ったり、勤務先スタッフと会話したりできるのはよいことだと改めて思う昨今。しかし、当地も新型コロナの感染者数がじわりじわりと、確実に増えてきているようで、近いうちにまた在宅勤務オンリーにせざるを得ないかという状況です。

現金を下ろせないという問題も続いており、私も最後にATMで現金下ろしてから1か月経ちました。幾ばくかの現金ストックとデビットカード決済で使えるお店で凌いでいる状況。

ー・・・ー

いつも昼下がりにこのページを書いてましたが、今ちょっと集中してやってることがあり、今日は夕方になりました。やること、やるべきこと・やりたいことは仕事・プライベートともに色々とあり、暇な時間(いろいろと思いふける時間)はほとんどなく過ごせています。

2021年5月30日(日)

元気にしております。

誰もアナウンスはしないようですが、雨季に入ったようです。昼間の気温も気持ち下がるも湿度が高いなと感じます。

ー・・・ー

この1週間あったこととしては、

■5月26日(水) 月食は曇り空(サイクロンの影響?)で見れずじまい。

■5月28日(木) 毎晩20時に当日の新規感染者数が当局より報告されるが、過去数か月の数値の3倍程度の感染者。金・土も2~3倍の数字になっている。

その他では、ANA便が3週間に一度飛んできていた(ミャンマー人の帰国(救援)が主目的)が、6月4日を最後に、搭乗希望者が一定数にならないと欠航すると。4月下旬からか、当地戻りの希望者が増加していると聞いていたが、再度減少に転じるのだろうか。

ー・・・ー

NICT見るとEスポよく出ていて、ハムにはいい季節でしょうか。

2021年5月23日(日)

2月11日から3か月に亘り一時移動していた仮の住処から、5月17日(月)元の住処に戻りました。この週末は部屋の掃除や模様替えなどをして過ごしています。

ー・・・ー

5月16日、私も入っている地元クラブより、JA1JRI牛尾OMサイレントキーの連絡をもらいました。OMは私の職場の大先輩であり、私が入社したころには衛星通信所長もされており、雲の上のような存在でした。

そんなOMと地元クラブで偶然お付き合いをさせていただくようになってから、時折ご自宅にお邪魔しては、私の赴任前の業務であった映像伝送(OMも従事されていた)の話などしてました。私がミャンマー赴任になってから、よくご連絡をいただき、気遣っていただきました。

また、OMは現役時代にミャンマーからの受け入れ対応をされたご経験から、ミャンマーの方の親交もあり、昨年ご家族でミャンマー旅行を計画されていましたが、新型コロナの影響で旅行を断念されました。

日本に一時帰国できる際に、お土産持って、お土産話と合わせてお伺いをと思っていた(2020年正月に一時帰国(それ以降一時帰国できず)した際もお邪魔してお話しをしました、その時が最後のアイボールとなってしまいました)だけに、とても悲しく思っています。

謹んでご冥福をお祈りいたします。日本に一時帰国できるようになったら、ご挨拶に行きたいと思っています。

ー・・・-

5月20日(木)会社スタッフより、オレンジ色のシャツをもらいました。スタッフはマンダレーとバガンの中間ほどの出身、地元の麻のシャツだと(理解しました)。洗って、今日来ていますが、とても着心地がよいです。

ー・・・ー

今朝は久しぶりに住処のあたりを散歩し、お店でココナッツ・ミルク・ヌードル(オウンノー・カウスエ)を食べてきました。値段は1,100チャット(100円しないくらい)。お腹にやさしく、おいしくいただきました。

その帰りには地面に金のヤシ(ココナッツ?)の実が落ちてました。何かいいことありそうな。さすがに怖い(怪しい?)ので、写真を撮っておしまいです。

写真は左から:スタッフからのいただいたシャツ、今朝のお店、食べたココナッツ・ミルク・ヌードル、今朝のシュエダゴン・パゴダと曇り空(ベンガル湾でサイクロン発生し、進路はインド・バングラディシュの模様、ただミャンマーも火曜日にかけて天候悪くなるのか?)です。

2021年5月16日(日)

元気にしております。今週から出社も再開しました。

ー・・・ー

今朝は地元クラブの懇親会がZoomで開催され、久しぶりに各局さんのお顔見つつ、近況報告や無線に関する話を伺えたこと、各局さんの背景に映るリグを見たいしながら、無線したいな、と改めて思っています。

 

写真は、一番左が今週会社に行った際に撮ったもの、その次からは昨日の朝カントージ湖散歩した際の撮ったものになります。

2021年5月9日(日)

元気にしております。

今週あったことと言えば。。。

 

■5月4日(火)午後 ヤンゴン全域(地方都市も?)数時間停電

■同日から それまで20:00-04:00の夜間外出禁止令が22:00-04:00に緩和される、一部のレストランはそれに伴い閉店時間が延びるアナウンスも

■5月6日(木)午後 一時暴風で市内あちこちで停電

 

市民は現金引き出しが大変、私は5月6日夕方前1時間ほど並び幾らか下ろしました。

 

・左:5月3日「ATMに現金在庫なし」の張り紙、・真ん中:5月6日に並んだ時、・右:5月7日朝順番待ち?で傘などで列確保の様子(ミャンマーの人たちは割り込みとかせず、日本と変わりありません、朝日が眩しく暑いので、皆日陰に逃げているような)

2021年5月2日(日)

元気にしております。

 

5月1日(メーデー)を挟んで4月30日から3連休。
 

4月28日(水)より、それまで01:00-09:00の間遮断されていた固定インターネット(=全てのインターネット)が24時間利用可能となりました(74日で終了)。また、その前日あたりから携帯インターネットでMicrosoft MS365機能(OutlookやTeams)、オンラインバンキング機能が使えるようになりました。

 

4月30日(金)、元々の住処でお世話になっていたご夫妻が在緬20年を終えて帰国されました。赴任後、いろいろお話しを伺ったり、朝の散歩ご一緒したりしていました。

2021年4月25日(日)

無線、したいですね。

ー・・・ー

ヤンゴンは、4月20日(火)のThingyan明けから昼間は車も多く、聞いた話ではオフィス再開しているところやお店も多く開いている、と感じる週でした。

2021年4月18日(日)

4月13日(火)~4月19日(日)はThingyan(ティンジャン)/ミャンマー正月(4月17日)で連休、知り合いの方から教えてもらったミャンマーに関する本や、ネットで関連する情報をひたすら読む日々を送っています。

概ね日に1度は雨が降るような天候、気温も先月に比べ若干涼しく感じるヤンゴンです。

ー・・・ー

今週前半、2カ月ぶりに散髪をしてもらいました。車で片道30分くらい移動しましたが、いい気分転換になりました。

ー・・・ー

ミャンマーの新型コロナはぐっと新規陽性者数が下がり、落ち着いてるように見えます。日本の方が報道で第4波と、お気をつけください。

2021年4月11日(日)

4月2日から降り始めた雨は3日ほど続き、その後は蒸し暑いヤンゴンが戻ってきました。このあと5月まで蒸し暑い日が続いたら、雨季です。4月5日ごろには年一回一瞬咲いては散る「パダウ」の花が咲いて、私もおすそ分けしてもらいました。週前半は微熱が久々に出ましたが(天候のせいか、運動不足のせいか、悪いもの食べたか、蚊に刺されたからか、原因不明)、薬飲んで寝て汗かいてで今は回復しています。

-・・・-

■3月末で日本食レストラン「あないも」閉店、4月末で旅行代理店「HIS」が撤退

■4月10日(土) 大使館情報で、コロナの制限(移動、マスク着用など)が解除された、と

 

4月9日午後、近くの銀行で現金を下ろそうと30分近く並んだ挙句、あと3人くらいのところでATMが故障し、結局下ろせなかった、ということもありました。

 

週明け4月13日(火)~4月19日(月)はミャンマー新年(Thingyan、ティンジャン)祝日。スーパーも閉まるようで、昨日買い出しをしました。以前であればステージが出来たり、至る所で水をかける・かけられるのが習慣のようですが、赴任してから残念ながら経験できていません(昨年は住処の入口でスタッフさんにかけてもらった程度)。

期間中はひたすら読書と緬語の勉強を集中してやるかな、と考えています。

-・・・-

新年度を迎えたこともあり、先週後半は職場のナショナルスタッフ数名に個別ヒアリングしました。個々に意見を持っており、参考になったとともに、時折彼らの言葉を直に聞くことは続けないと、と改めて思いました。

-・・・-

以下は、左から3枚がカントージ湖散歩の際の撮った写真(遊歩道途中、ほぼ同じ地点から東向きに)、4月5日パダウをいただいたあと、私の同居人(クマ)に持たせた写真、一番右が4月9日午後現金下ろす順番待ちした時の写真です。

(左から:2月14日 08:35、3月13日 6:34、4月10日 6:24)

2021年4月4日(日)

気が付けば年度も変わりました。昨年12月3日夜以来雨知らずでしたが、4月2日朝4カ月ぶりに小雨が降りました。

本日未明(03:38)「ドーン」という音がして、目を覚ましましたが、雷鳴でした。また、日の出後は10分程度のスコールもありました。少しずつ雨季に向かっているヤンゴンです。

日本、東京はもう桜咲き、散ったのでしょうか。新型コロナも第4波とかみたいで気になっています。

-・・・-

4月2日にANA成田便が飛び、145名の方が帰国されたと。知り合いの方も乗られており、帰国後3日間成田で隔離中。その方や別の帰国された方からは「帰国後、緊張感は減った」というお話があり、たぶんそうなのかな、と。上記のような雷鳴ですら身構える自分がいる事実からもそう思いました。

-・・・-

コロナからもう1年、以前に比べて既に縮小状態にある、とも言えます。

 

もし、大局的な見地から指示が来たならば、私の動機とはまるで逆のことを今後しないといけなくなる、というのも頭の片隅にはあります。

 

当地に住み、スタッフや緬市民と直接話す身(駐在・一個人の両面)としては、非常に難しいです。

-・・・-

以下は今朝の散歩中撮ったものです。

2021年3月28日(日)

3月23日は私の誕生日で、多くの方からいろいろな手段でご連絡、お祝いの言葉をいただきました。ありがとうございました。

ー・・・ー

昨日、3月27日は国軍記念日(元々からある祝日)、朝6時過ぎに起きて、どのようになるのかと思いながらテレビで式典の模様を見ました。

ー・・・ー

年度末に向けて、振り返りと4月以降のことを考えていますが、やりたかったことのほとんどは止まったまま、スタッフと一緒に色々やりたかったものも動かすこともできず。4月以降、シナリオはいくつか想定できますが。その一方で、今私ができること、やらないといけないことを引き続き考え、できることを(わずかですが)やってみています。

2021年3月21日(日)

昨日は春分、当地も連日昼間は37~38℃といった日が続いています。昼間、今の住処の前を歩く人は暑いからなのか、ほとんどいません。

 

今週あったこと、直接見聞きしたこと言えば、

■週日 勤務先のナショナルスタッフの若干名が実家に帰る申請、許可し帰省する。

■3月15日(月)朝 携帯インターネットの断が常時継続される。

 

今日は朝一番、今の住処すぐにあるカントージ湖一周1時間半散歩してきました。久しぶりに10,000歩以上歩けました。

 

今朝の散歩、湖の一角にアウン・サン将軍(ビルマ建国の父、アウン・サン・スー・チーさんのお父さん)の銅像を初めて間近に見ました。

2021年3月14日(日)

私は元気にしております。

 

気が付けば3月も中旬。3月に入り、一気に季節は暑季に移ってきており、日中の最高気温も38℃とか表示されるようになりました。あの日から1か月半経ちました。

 

ほぼ家から出ることなく、すぐ近くのスーパーで買い物する程度です。

2021年3月7日(日)

1週間、何をしていたんだろう?と思いつつも、あっと言う間に時間が経っていることにふと気づきます。

私は引き続き元気にしております。

 

日々部屋に籠り、朝などの時間帯に買い物、オフィスへの最低限外出する程度です。

 

■3月1日(月)

・朝一番は濃霧。

・銀行の現金引き出し方針が変わる。

■3月5日(金)

・午後全土で停電が数時間発生。発電所の設備緊急停止。

2021年2月27日(土)

こんにちは。私は元気にしております。

 

2月4日より、それまで近況などはFBに書いてましたができなくなりました。

 

こちらのHPであれば近況などお知らせできますので、週一目標で書きたいと思います。

 

以下は本日夕方日没直前に撮った写真です。「この写真だけ」見ると、何も変わりありません。美しいヤンゴンです。